わたしは、なぜ服を縫うの?
「ところで、そもそも服を作る人たちって何で自分で縫うの?
これはある日、知り合いの男性から
会話の流れで問いかけられたもの。
「服作りする人でも、服屋さんでも服を買うって言う人がほとんどだよ。」という前知識は私がそれまでの会話で伝えていたもので
袖を通すとホッと優しい気持ちになるようなナチュラル感のあるお洋服が好きで服作りをしている。
など、いろいろと疑問が湧く様子。(この人は別に喧嘩は売っていません。めちゃくちゃおしゃれで良い人だし、ほんとにキョトンとした顔して聞いていたから。)
私の労力、時給でいくらだと思ってんのよー!?(いくらだよ、って感じですが。)
あんたには分からないこだわりがあるんですけどー!!
みたいな「違う違う違う!」と言いたい感情がブワッと出てきてしまうのかもしれないなぁ。
だって、極端な話
100億円もらっても、服作りはしたいから。
100億円もらったら、アントワープの王立芸術アカデミーのファッション学科に裏口入学したいとか(授業は通訳つけます。富豪だから。)
ディオールの工房にコネでインターンに入らせてもらいたいとか
そう言う近道とか、よこしまな考えは浮かぶけれどね。
でも、昔々の服作りを始めた頃の記憶を辿って自分の服作りを始めた種みたいなものを探してみると
当時は今よりもずっと理想的な服への憧れが強くて(これは手に入らなかったから)
それを自分の手で作り出すことを夢見ていたこと。
シネマの世界の中にいる
オードリーやグレースケリーやジーンセバーグの服に強い憧れがあったこと。
この二つがやっぱり主な理由である気がします。
でも、洋裁を始めてからしばらくたっても
それは全然現実的じゃなくて、作れる様になっている手応えがなかった。
理想的なシネマのお洋服が作れるように、、、ほんとになるのかしら?
この調子だと無理なんじゃ無い?と正直思っていたんです。
(教わった洋裁の学校の先生たちには申し訳ないけれど、自分の理想からはかなり離れたテイストだったのです。)
その不安な気持ちがありながらも、「わたしは学びが遅いからしょうがないや」と割り切って続けていたら
自分の服作りの形みたいなものが少しずつ見えてきて
そしたら途端に楽しくなってのめりこみました。
でもそもそも「学びが遅いからしょうがない」と割り切ってでも続けられたのは、
きっと頭の中で想像したものを形にするということが単純に楽しかったからなのだと思います。
うーーーーん、これほんとかなぁ。
ほんとな様な気もするけれど、文章にしたら自分でも嘘くさく感じてしまう。
やっぱり分からないかも。
自分のことなのに、そして一番情熱と時間を注いでいることなのに
はっきりと分からない。そんなことってあるんですね。
みなさんは、どうして服を作っていますか?
と言う事で長い前置き失礼しました
今年も大好きなプリティー・ウーマンドレス、
ちょうど良いサイズ感というものが、実は決まりきっていなくて
やっぱりギャザースカートって、、、かわいいし。
姿勢良くガニ股(イメージ!)でペタペタと歩きたくなる。
生地が薄手なので上身頃にもつけた方がインナーのラインを拾いすぎなくて良いかなと思って総裏です。
もしかしたら
これが今、わたしが服作りで一番やりがいを感じているところかも。
憧れを形にする事は大前提としてあって
その次に似合わないものを似合わせる事にチャレンジする。
チャレンジだから、毎回実験のように結果があって
それも飽きないポイントなのかなぁ。
でもこれって、洋裁しない人に
なかなか一言で説明してもピンと来てもらえなさそうだよね。
みなさんはどうして、自分で服を縫っているのですか?(2回目)
という問いを残して、今日はここまで。
明日からはまた新しい服作りに取り掛かります。
夏だから、ちょっとマリンな気分もいいなぁなんて思っています。
それではまた!
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